<偲ぶ 中久木雅曠瑤先生>
2011年【平成23年】4月20日に81歳で急逝されました
正派邦楽会 大師範 中久木雅曠瑤先生を偲び
私の手元にある先生の写っているお写真を掲載させていただきます。
ほとんどは何十年も前のものですので、ご一緒された皆様どうぞお許しくださいませ
問題のある方は、どうぞお申し出になってくださいませ。すぐに対応させていただきます。
中久木先生は、正派邦楽会関東支部役員として
長年にわたり大切な職務を勤められました。
先生のおかげさまで、私も正派音楽院で学ばせていただくことができました。
入学試験の前には、朝から晩までお稽古してくださいました。入学してからも、その時々にお心にかけてくださり、育ててくださいました。
先生の地元、守谷での教授活動によって大勢の門下生が育ちました。
私が高校生の頃は、水海道市にもお稽古場があり、そちらでもお世話になりました。
昭和47年1月
中久木社中【雅瑤会】
新年会です。
やさしくお美しい先生のもと、笑顔のたえない楽しい1日を過ごさせていただきました。
昭和49年8月
中久木社中【雅瑤会】ゆかたざらい (後姿は先生の美しいお母様です。)の見守る中、盛会に開催されました。会場は、守谷小学校の講堂です。
下の写真は、1980年8月30日 中久木先生のご自宅での
中久木社中(【雅瑤会】のゆかた会の時の写真です。中央で笑顔の先生!
昭和48年5月
取手市市民会館大ホールにて、中久木先生の親師匠である
(故) 荻原雅曠大師範の開軒35周年記念演奏会の写真です。
【中央奥に中久木先生】
昭和49年8月
取手市民大ホールにて
正派雅曠会ゆかたざらい
【左から3人目が中久木先生】
昭和52年6月 第7回茨城県三曲会名流大会 土浦市民会館にて 荻原社中としての出演です.
昭和53年5月 取手市民センター大ホール
荻原雅曠 開軒40周年 古希祝賀 昇格披露 記念筝曲演奏会にて
黒留袖姿の中久木先生
昭和54年は、私が准師範試験受験のため、演奏会出演はしなかったので、演奏会の写真はありませんで、准師範試験後、中久木先生と出席させていただきました合格祝賀パーティーの写真がありましたので、先生もご覧になったお祝いの席の様子です。
昭和55年6月 第10回 茨城県三曲名流大会
茨城県文化センター大ホールかと思います。
先生は、後ろの列でお三味線を弾かれているかと思います。
昭和60年1月NHKホールにおいて「新春三曲名流選」 演奏会(この曲は合奏団の出演かと思いますが、関東支部役員であられた先生は、このような大舞台での演奏を常にされておりました。)これらの写真は、先生と私が出演させていただいた ごく一部の枚数ですので、ご存知の方は、あれもこれも載っていないと思われるでしょう。
昭和60年 国立劇場において 正派邦楽会の追善演奏会にて
中久木先生は、地元守谷市の文化協会設立メンバーとして、創立から(35年間にわたり)、市の文化の発展に寄与されました。先日9回目を迎えた開催された指導者による「もりや夢の舞と響き」も第1~3回めまで、先生と共演させていただきました。
2003年6月「第1回もりや夢の舞と響き」<松本雅夫作曲・虹>
文化協会芸能部 根本部長 伊藤副部長 指導者の先生方と!打ち上げ会の様子です!
どなたにも 丁寧に優しく謙虚にお付き合いされて、和をもって実践されるお姿に先生の周りはいつも和やかでした。。
守谷市文化協会・芸術祭<芸能祭>【雅瑤会】出演の様子です。
昭和59年
昭和60年
この年は、<科学万博つくば`85・守谷町の日>に日舞の若柳秀寿社中・コールリリーズ(コーラス)と共演し華やかなステージを彩りました!このような素晴らしい舞台に出演させていただき、先生方の人徳のパワーに感謝でございます。指導者と言うものは、このように協力し合ってすごい貢献をされるものなのだなぁと実感いたしました。
<現 もりや少年少女合唱団の 第1回 発表会>中央で17絃を弾かれているのが先生です。1992年6月・守谷中央公民館ホールにて。
<夕べのコンサート・1996年8月・市庁舎中庭にて>
守谷市文化協会発足のきっかけとなった
「町村合併20周年記念式典」
昭和50年・1975年3月
?
「先生方みんなで集まったので (みんな仲良しなので)
このみんなで、町に何かができないか と
話しが弾んだ!」・・・と、塚原会長から、伺いました。
中久木先生を囲んで、社中の記念写真。会場は、守谷中学校です。
この35年間の文化協会での活動としましては、たくさんのイベント出演があります。たとえば、6月あやめ祭り出演にはじまり、7月芸能大会、8月夕べのコンサート、国際交流パーティでの演奏、11月芸能祭、新年の賀詞交換会での演奏など、長年にわたり、守谷市に筝曲の文化を根づかせ育て広げた先生の功績は、偉大です!
育てていただいた私たちは、これから、そのご恩返しができないものかと模索しているなかでの先生の急逝に残念でなりません。
守谷市文化協会の運営により2005年【平成17年】?5年間・
文化庁の【伝統文化こども教室・第1回は、お琴教室】を開催し、大変喜んでいただきました。11月芸能祭での発表の様子です。中久木先生が文化協会の指導者としてみなさんと、長年にわたり、和気あいあいとした良好な関係を築いてくださったことが、実を結び このように協力体制が整い、りっぱな事業を継続する事ができているのだと思います。
師匠と(弟子)私樋口社中として門下生の晴れの場に同席していただけましたことは、門下生ともども嬉しい思い出です。
<准師範合格祝賀パーティにて御家元・唯是震一先生・大久保雅礼先生と先生>
<披露演奏会>に 大先生として中久木先生をお招きし催しました。
雅瑤会会員(孫弟子も含み)は、これまでの先生のご恩に報いることが出来るよう、
仲良く和をもってお稽古を続け、後進の育成に努めたいと思います。
急逝された先生を思うと、残念でなりません。
ご家族お身内のみなさまの悲しみはいかばかりでしょうか ・・・
庭を見ると、先生のお宅の広く美しいお庭を思い出します。「お忙しいのに、いったい いつ手入れをされているのですか 」と伺うと「草取りはね、1月1日からはじめます。緑色が見えたら取らないと、春には、手が付けられないほどになってしまうの。」とおっしゃっていました。裏庭には、たくさんのお花が咲き誇り「ご仏壇に飾ってね。」と、いつも心配していただき、たくさんのお花を頂いてまいりました。
花を見れば、・・・筝に向かえば、・・・先生のお姿を思います。
先日の「舞と響き」では、お客様より「中久木先生は、旧家 名家のお生まれで、私たち庶民からすると、とても普段会うことが出来ない方なので、文化協会での先生の演奏を聞かせてもらうのを長年大変楽しみにしてきました。美しいお姿と上品な演奏をもう聞かせていただくことができないなんて、本当に残念です。守谷の人間なら、誰もが先生が亡くなった事を知っていて、残念だと思っていますよ!」と、お声をかけていただきました。本当に、その通りです。ありがとうございます。
現在親師匠になった私も、先生の前に出ると、弟子であって親から見ると、子供は子どもですから、親先生のご苦労は思い至ることが出来ませんでした。今思うと、甘えるばかりでなく、もう少し何か先生のお手伝いをすることは出来なかったのだろうか と申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本当にご立派な先生でございました。
謹んで ご冥福をお祈り申し上げます。合掌